鎌倉(妙本寺)の桜、、、
2016/04/05
妙本寺の寺域は、比企ヶ谷(ひきがやつ)とよばれ、鎌倉時代、幕府の有力御家人である比企一族の屋敷があった場所。
比企氏は、建仁3(1203)年、ライバルの北条氏によって屋敷を攻められ滅ぼされました。一族で唯一生き残った比企能本(よしもと)が一族の菩提を弔うために日蓮に帰依し、文応元(1260)年に比企屋敷の跡に建てたのが、この妙本寺だそうです。
境内には、比企一族の墓のほか、二代将軍・頼家と比企能員(よしかず)の娘・若狭の局との子で、比企氏滅亡の折にわずか6歳で命を落とした一幡(いちまん)をまつる袖塚(そでづか)などの史跡があります。
比企氏は、建仁3(1203)年、ライバルの北条氏によって屋敷を攻められ滅ぼされました。一族で唯一生き残った比企能本(よしもと)が一族の菩提を弔うために日蓮に帰依し、文応元(1260)年に比企屋敷の跡に建てたのが、この妙本寺だそうです。
境内には、比企一族の墓のほか、二代将軍・頼家と比企能員(よしかず)の娘・若狭の局との子で、比企氏滅亡の折にわずか6歳で命を落とした一幡(いちまん)をまつる袖塚(そでづか)などの史跡があります。